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東京高等裁判所 昭和48年(行コ)54号 判決 1975年3月27日

静岡県浜松市篠原町二二、〇六四番地一

亡白都太郎訴訟承継人

差戻前昭和四一年(行コ)第四五号事件控訴人

控訴人(同第三九号事件被控訴人、以下第一審原告)という

白都国雄

同県同市同町三、九一七第地の一

亡白都太郎訴訟承継人

控訴人(同)

白都しげ

同所

亡白都太郎訴訟承継人

控訴人(同)

白都満

同所

亡白都太郎訴訟承継人

控訴人(同)

白都清蔵

同所

亡白都太郎訴訟承継人

控訴人(同)

白都勝子

同県磐田郡福田町福田二、一二三番地

亡白都太郎訴訟承継人

控訴人(同)

山中喜美枝

右訴訟代理人弁護士

田口英太郎

静岡県浜松市元城町四六番地

差戻前昭和四一年(行コ)第三九号事件控訴

被控訴人(人、同第四五号事件被控訴人、以下第一)審被告という

浜松税務署長鈴木一夫

右指定代理人

筧康生

佐々木宏中

鈴木洋欧

杉村功

右当時者間の昭和四八年(行コ)第五四号所得税更正決定額変更請求控訴事件について当裁判所は次のとおり判決する。

主文

第一審原告の控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。

「1. 第一審被告が第一審原告の昭和三一年度分所得税申告の営業所得金額を金一二三万六、五〇〇円と更正した更正決定中、金九五万一、一七〇円を超過する部分を取消す。

2. 第一審原告のその余の請求を棄却する。」

第一審原告のその余の控訴を棄却する。

第一審被告の控訴を棄却する。

訴訟の総費用は第一、二、三審を通じ、これを二分し、その一を第一審原告の、その余を第一審被告の各負担とする。

事実

第一審原告訴訟代理人は、差戻前の昭和四一年行コ第四五号事件につき、「原判決中第一審原告敗訴の部分を取消す。第一審被告が第一審原告の昭和三一年度分所得税申告の営業所得金額を金一二三万六、五〇〇円と更正した更正決定中、金五〇万円を超過する部分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。」との判決を求め、差戻前の昭和四一年(行コ)第三九号事件につき第一審被告の控訴棄却の判決を求めた。

第一審被告指定代理人は、差戻前の昭和四一年行コ第三九号事件につき、「原判決中第一審被告敗訴の部分を取消す。第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」との判決を求め、差戻前の昭和四一年(行コ)第四五号事件につき第一審原告の控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、次のとおり附加訂正するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(第一審被告の主張)

一、 第一審被告の従前の主張のうち、整理番号(原判決添付別紙営業収入明細表(Ⅱ)の番号)15沢柳三郎、同17鈴木俊雄、同21法山高澄、同22神村繁一、同23寺田善太郎に対する貸付金の収入利息、遅延損害金にかかる部分を次のとおり変更する。

<省略>

二、 前記貸付金のうち、利息制限法超過の損害金の特約が存するものは、次のとおりである。すなわち、15沢柳三郎分の貸付金については、昭和三一年四月一六日分、同年四月三〇日分、同年五月一六日分につき抵当権設定登記の登記簿上右約定が明記されており、同年四月五日分については、貸付期間一か月の約定期間経過後に支払われた毎月の損害金四、九〇五円は約月九分にあたり、利息制限法の限度額である年四割以上の約定があったことが明らかである。次に、17鈴木俊雄分の貸付金のうち昭和二九年一〇月貸付分について、また22神村繁一分の貸付金について、いずれも利息制限法所定の制限内である損害金年三割六分の約定が存したこと、23寺田善太郎分の貸付金について同様年三割六分をこえる損害金の約定があったことが明らかである。以上の計算は別紙付表1ないし18のとおりである。

三、 第一審被告は、収入金額についての従前の主張を次のとおり減縮する。

<省略>

四、 第一審原告ら主張の白都太郎の死亡及び第一審原告らの相続による承継の事実は認める。

(第一審原告の主張)

第一審原告らの被承継人白都太郎は昭和四八年一二月一四日死亡し第一審原告らにおいて相続によりその権利義務一切を承継した。第一審被告の主張のうち各貸付先に対する収入金額(ただし、26村松良作を除く)はいずれも認める。

(証拠関係)

第一審原告は甲第四四号証の三、四、第四五ないし第四八号証を提出し、当審における第一審原告本人尋問の結果を援用し、乙第四九ないし第五三号証、第五五、第五六号証の成立は認める、乙第五四号証の成立は知らないと述べた。

第一審被告は、乙第四九ないし第五六号証を提出し、甲第四四号証の三、四、第四六、第四七号証の成立、第四五号証の原本の存在ならびに成立はいずれも認める同第四八号証の成立は知らないと述べた。

理由

第一、 当裁判所は、当審における口頭弁論および証拠調の結果を斟酌し、第一審原告の本訴請求は、第一審被告のした更正決定のうち第一審原告の昭和三一年度分営業所得金額金九五万四、一七〇円を超過する部分の取消を求める限度において、正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきものと判断するものであって、その理由は次のとおりである。

第二、 第一審原告らの被承継人白都太郎(以下なお第一審原告という)は農業を兼業とする金銭貸付業者であるところ、昭和三一年度分の所得税について、その主張のごとき内容の確定申告をしたこと、第一審被告は昭和三二年四月六日右確定申告の営業所得金額五〇万円を一二三万六、五〇〇円と更正決定し、同年五月三一日これに関する第一審原告の再調査請求を棄却したこと、第一審原告がさらに名古屋国税局長に対し審査の請求をしたところ、同局長は昭和三三年九月一九日右審査請求を棄却したこと、右白都太郎が昭和四八年一二月一四日死亡し、第一審原告らが相続によりその権利義務一切を承継したことは、いずれも当事者間に争いがない。

第三、 さて、昭和三一年度における第一審原告の営業所得を判断するに当って、先ず、利息制限法の制限を超過した約定利息及び遅延損害金が課税の対象たる所得となるかどうかの点について判断するに、所得税は、担税力に応じて公平な税負担の実現を期すべきものであるから、同法上所得の概念は、経済的、実質的に把握すべきであり、したがって法律上その実現を保護されない利息制限法超過の利息債権であっても、それが現実に受領されたものである以上、課税の対象たる所得を構成するものと解するのが相当である。但し、現実に受領されても、当該年度内に元本への弁済充当がなされあるいはその返還がなされたような場合には、その限度において所得を構成しないものと解すべきは当然である。しかし、未収の超過利息は未収であるかぎり課税の対象たる所得を構成しないと解すべきである(最高裁判所昭和四三年(行ツ)第二五号同四六年一一月九日第三小法廷判決・民集二五巻八号一一二〇頁、本件差戻前上告審昭和四六年(行ツ)第九四号同四八年九月一八日第三小法廷判決)。

第四、 以上の見解に立って、昭和三一年度において第一審原告に第一審被告の主張するように金一二三万六、五〇〇円もしくはこれを超える営業所得があったかどうかの点について判断する。

一、 昭和三一年度における第一審原告の営業収入のうち、原判決添付別営業収入明細表(Ⅰ)記載の分合計金一三万二、三九五円については、当事者間に争がない。

二、 同明細表(Ⅱ)記載の分については争が存するわけであるが当裁判所は、このうち、貸付先1高橋菊雄分、同2鈴木三郎分、同3鈴木よね分、同4鈴木梅作分、同5鈴木繁雄分、同6中村政次分、同7鈴木秀男分、同8藤田末吉分、同9鈴木重一郎分、同10加茂一分、同11鈴木安次分、同12袴田勘二分、同14山田貞雄分、同16伊代田政治分、同19松下勲次分、同20山本七郎分、同24横原猛分、同25田中政雄分については、昭和三一年度中にそれぞれ原判決がその理由中で認定したとおりの営業収入が現実にあったものと判断するものであって、その理由は原判決理由中当該部分の説示と同一であるから、これを引用する。当審における第一審原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しない。

よって、右営業収入を合計すると、金四四万六、六七八円となる。

三、 次に、右貸付先以外の分について順次検討する。

(一)  貸付先13西川熊平分

各成立に争いのない乙第三三、三四号証、原審証人早川孝雄の証言により成立を認める同第一四号証、原審証人彦坂省一郎の証言を総合すれば、第一審原告は、西川熊平に対し、(1)昭和三〇年一二月に金五万円を、(2)昭和三一年一月に金一五万円を、(3)同年四月に金一〇万円をいずれも利息月九分、毎月支払の約で貸付け、昭和三一年中に、(1)の貸付金の約定利息二か月分金九、〇〇〇円、(2)の貸付金の一か月分の天引利息金一万三、五〇〇円、(3)の貸付金の一か月分の天引利息金九、〇〇〇円を受領し、さらに同年一〇月に右三口の貸付金の元利合計として金四三万円を受領し、このうち一三万円を利息に、三〇万円を元金に充当して完済があったものとし、結局第一審原告は昭和三一年中に右合計金一六万一、五〇〇円の利息を現実に受領したことを認めることができ、甲第四四号証の二中西川熊平関係の記載部分のうち右認定に反する部分は措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  貸付先15沢柳三郎分

原審証人福谷光義の証言により成立を認める乙第一六号証によれば、次の事実を認めることができる。第一審原告は、訴外中村きくゑに対し、沢柳三郎を連帯保証人として、(1)昭和三一年四月五日に金五万四、五〇〇円を、(2)同年四月一六日に金一〇万円を、(3)同月三〇日に金一〇万円を、(4)同年五月一六日に金一五万円をいずれも利息月九分、毎月支払の約で貸付けする。しかして成立に争いのない甲第四六号証、乙第五五、第五六号証によれば、右(2)ないし(4)の貸付金はその弁済期はいずれも一か月後であり、期限後の損害金については年三割六分の特約が存したことを認めることができ、右事実と原審における第一審原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨をあわせると右(1)の貸付金についてもその弁済期は一か月後で、期限後の損害金は月九分の特約が存したものと推認するのが相当である。右認定をくつがえすべき証拠はない。

しかして右(1)については、昭和三一年中に貸付金の利息及び損害金として合計金二万円を受領したところ反証のない本件では約旨に従って毎月約旨の割合で支払があったものと推認すべく、右金額を昭和三一年四月五日から同年五月四日までの利息制限法所定制限内である年二割の利息(以下制限利息という)及び同年同月五日から同年八月七日までの同様年四割の遅延損害金に順次支払われ、右制限を超える部分は逐次元本に充当したものとして計算すると、充当後の元本は金四万二六二円となり、右金額に対する昭和三一年八月八日から同年一二月三一日まで一四六日分の年四割の未収遅延損害金は金六、四二四円であるから、以上合計金二万六、四二四円となる(付表1参照)。次に右(2)および(3)については、貸付に際し、それぞれ月九分の割合による約定利息一か月分各金九、〇〇〇円を天引し、昭和三一年一一月二九日に貸付金二口の元金二〇万円の返済を受け、その際右二口分の遅延損害金として合計金九万円を受領したので、(2)および(3)につき、各一口分の利息及び損害金相当額金四万五、〇〇〇円として計算すると収受した利息及び遅延損害金は各金五万四、〇〇〇円となる(付表2、3参照)。

次に右(4)については貸付に際し、月九分の割合による約定利息一か月分金一万三、五〇〇円を天引したので、右金額を昭和三一年五月一六日から六月一五日までの期間において制限利息の年一割八分の利率で支払われたものとして計算すると、充当後の元本は金一三万八、五四七円となり、右金額に対する昭和三一年六月一六日から同年一二月三一日まで一九九日間の年三割六分の未収遅延損害金は金二万七、一一八円であるから、以上合計四万六一八円となる(付表4参照)。従って(1)ないし(4)の合計は金一七万五、〇四二円となる。

(三)  貸付先17鈴木俊雄分

各成立に争いのない甲第二七、第二八号証、乙第一八号証の二、原審証人早川孝雄の証言により成立を認める同号証の一、同証人の証言を総合すれば、第一審原告は、鈴木俊雄に対し、(1)昭和二九年(本件課税年度以前)一〇月二六日に金一一万円を、利息一か月につき金一万円、弁済期一か月後、期限後の遅延損害金一か月につき一万円の約で、訴外夏目健一郎を保証人として貸付け、一か月分の天引利息金一万円を含め、七回位約定利息及び遅延損害金の支払を受け、昭和三一年中にさらに二回約定遅延損害金の支払を受けたが、前の年度の未納分に充当し、昭和三一年一〇月二日保証人夏目健一郎を債務者として金一一万円およびこれに対する昭和三〇年二月二六日から支払いずみまで年三割六分の割合による遅延損害金の支払を求める支払命令の申立をし、昭和三二年六月に元利金合計一五万円の支払を得て、示談で解決し、(2)昭和三〇年(本件課税年度以前)三月八日金六万三、〇〇〇円を、弁済期同月一七日、遅延損害金日歩三〇銭の約で、訴外山内直温を保証人として貸付け、その際金三、〇〇〇円の利息を天引したが、以後元利金の支払を得られず、訴訟を提起した結果、昭和三一年二月二一日に、鈴木俊雄に対し金六万円およびこれに対する昭和三〇年三月一八日より完済まで年四割の割合による遅延損害金の支払を命じ、その余の第一審原告の請求を棄却した第一審判決を正当として、第一審原告の控訴を棄却する旨の控訴審判決の言渡があり、昭和三二年七月一六日保証人山内直温より右元利金および諸費用として合計金一三万円の支払を受けて解決したことを認めることができる。

右認定の事実によれば(1)については当初の天引利息金一万円を利息制限法所定の方法により制限利息年一割八分を超える部分は元本に充当し、爾後の遅延損害金は昭和二九年一一月二六日から昭和三〇年七月二五日までの期間において制限損害金年三割六分の利率で順次支払われたものとして計算すると充当後の元本は金三万九、六五二円となりこれが本件課税年度期首に残存していたこととなるので、右金額に対する昭和三一年一月一日から一二月三一日まで一年間年三割六分の未収損害金は金一万四、二七四円となる(付表5参照)。(2)については、右金三、〇〇〇円を昭和三〇年三月八日から三月一七日の期間において制限利息年二割の利率で支払われたものとして前同様計算すると充当後の元本は、金六万〇、三二八円(第一審被告主張の付表6のこの点の計算は誤算である)となるが、弁済期に元本金三、〇〇〇円の支払があったので、差引金五万七、三二八円が本件課税年度期首に残存することとなり、これに対する昭和三一年一月一日から一二月三一日まで一年間年四割の未収損害金は金二万二、九三一円となる(付表6参照)。以上合計金三万七、二〇五円となる。

(四)  貸付先18鈴木喜太郎分

第一審原告が昭和三一年以前に鈴木喜太郎に対し、金五、〇〇〇円を貸与し、昭和三一年六月一二日に同人から元金五、〇〇〇円と六か月分の利息金三、〇〇〇円を受領したことは、当事者間に争いがない。

(五)  貸付先21法山高澄分

各成立に争いのない甲第一八号証の一、二、同三六号証、官署作成部分については成立に争いなく、その余の部分は第一審における第一審原告本人尋問の結果により成立を認める乙第二一号証、官署作成部分については成立に争いなく、その余の部分は第一審証人法山高澄の証言により成立を認める同第四七号証、同証言により成立を認める同第四八号証および同証言を総合すれば、第一審原告は、法山高澄に対し、利息月一割、毎月支払の約で(遅延損害金について特約の存したことはこれを認めるべきものがない)、(1)同人所有の山林二筆につきこれを担保とする趣旨で昭和三〇年一月一五日付売買を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記を経由した上、昭和三〇年一月一五日から同月二七日までの間に五回にわたり金三〇万円を貸付け同年一月二七日に右貸付金に対する二月二〇までの利息として金三万円の支払を受け、次で同人の買戻期限を同年三月二〇日とし右期日に二月二〇日から三月二〇日まで一か月分の利息金三万円を元金と同時に支払う約束であったが同人が右期日に右金額を支払って買戻すことができなかったため右利息金三万円を元金に繰り入れ買戻代金を金三三万円とする約束が成立し、同年七月二〇日までの間に同日までの約定利息(昭和三〇年三月二九日、同年四月一九日、同年五月二〇日、同年六月二八日に各金三万三、〇〇〇円)と元金のうち金一九万五、〇〇〇円の支払いを受けたので、残元金一三万五、〇〇〇円およびこれに対する、利息については支払いをえないまま経過した。また(2)昭和三〇年七月一八日に金一万二、五〇〇円を、(3)同月一九日に金三万円を、(4)同月二二日に金三万円を、(5)同月二八日に金八、六〇〇円を、(6)同年八月五日に金四万五、〇〇〇円を、(7)同月一五日に金一二万円を、(8)同月二三日に金五万五、〇〇〇円を各貸付の都度いずれも一か月分の約定利息(但し(5)については一九日分)を天引の上貸付けたが、これらについても元利金の支払をえないまま経過したので、前記(2)の貸付金残元金一三万五、〇〇〇円と、(2)ないし(8)の貸付金合計三〇万一、一〇〇円以上合計金四三万六、一〇〇円相当の代金をもって、前記山林二筆を買受け、その代金をもって、右貸付金に充当することとし、昭和三一年中に、その引渡ならびに所有権移転の本登記手続を求める訴を静岡地方裁判所浜松支部に提起したところ、昭和三二年二月二一日法山高澄との間において、同人が第一審原告に対し元利合計金五六万七、〇〇〇円の消費貸借に基づく債務および金五万円の約束手形金債務があることを確認し、昭和三二年二月末日までに金五六万七、〇〇〇円、同年六月末日までに金五万円を支払う旨の裁判上の和解が成立したことを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、法山高澄は、昭和三一年中には約定利息損害金を任意に支払わなかったのであるから、第一審原告の昭和三一年度の「収入すべき金額は、右各貸付残元金に対する利息制限法一条一項の利率により計算した金額であるとすべきである。

そこで(1)の貸付金については、前記約定利息及び損害金を昭和三〇年一月二七日、三月二九日、四月一九日、五月二〇日、六月二八日に年一割八分の利率で順次支払われたものとして計算すると充当後の元金は金一六万一、七六一円となり、これに対する前記金一九万五、〇〇〇円の支払いは金三万三、二三九円の支払い超過となるから昭和三一年度の未収利息は存しないものというべきである(付表7は採用せず、この関係は別紙付表7の2のとおりである)。(2)の貸付金一万二、五〇〇円については天引した利息金一、二五〇円を昭和三〇年七月一八日から八月一六日までの期間において制限利息年二割の利率で支払われたものとして前同様に計算すると充当後の元本は金一万一、四三七円となり、右金額が期首残元本であるから、これに対する昭和三一年一月一日から一二月三一日までの一年間の年二割の未収損害金は金二、二八七円となり、(付表8参照、但し同表中計算期間を30・7・18~8・20としているのは誤りであるが、計算は変らない)、(3)の貸付金三万円については、天引した利息金三、〇〇〇円を昭和三〇年七月一九日から同年八月一八日までの期間において制限利息年二割の利率で支払われたものとして前同様に計算すると充当後の元本は金二万七、四五〇円となり、これが期首残元本であるから右金額に対する昭和三一年一月一日から同年一二月三一日までの一年間年二割の未収損害金は金五、四九〇円となり(付表9参照)、(4)の貸付金三万円については、天引した利息金三、〇〇〇円を昭和三〇年七月二二日から同年八月二一日までの期間において、制限利息年二割の利率で支払われたものとして前同様計算すると充当後の元本は金二万七、四五〇円となり、右金額が期首残元本で、これに対する昭和三一年一月一日から同年一二月三一日までの一年間年二割の未収損害金五、四九〇円となり(付表10参照)、(5)の貸付金八、六〇〇円については、天引した利息金六〇〇円を昭和三〇年七月二八日から八月一五日までの期間において制限利息年二割り利率で支払われたものとして前同様計算すると充当後の元本は金八、〇八三円となりこれが期首元本であるから右金額に対する昭和三一年一月一日から同年一二月三一日までの一年間年二割の未収損害金一、六一六円となり(付表11参照)、(6)の貸付金四万五、〇〇〇円については、天引した利息金四、五〇〇円を昭和三〇年八月五日から同年九月一日までの期間において制限利息年二割の利率で支払われたものとして前同様に計算すると充当後の元本は金四万一、一七五円となり右金額の期首元本に対する昭和三一年一月一日から同年一二月三一日までの一年間年二割の未収損害金は金八、二三五円となり(付表12参照)、(7)の貸付金一二万円については、天引した利息金一万二、〇〇〇円を昭和三〇年八月一五日から同年九月一四日までの期間において制限利息年一割八分の利率で支払われたものとして前同様計算すると充当後の元本は金一〇万九、六二〇円となり、右金額が期首元本であるから、これに対する昭和三一年一月一日から同年一二月三一日まで一年間の年一割八分の未収損害金は金一万九、七三一円となり(付表13参照)、(8)の貸付金五万五、〇〇〇円については、天引した五、五〇〇円を昭和三〇年八月二三日から九月二二日までの期間において制限利息年二割の利率で支払われたものとして前同様に計算すると、充当後の元本は金五万〇、三二五円となり、右金額が期首元本で、これに対する昭和三一年一月一日から同年一二月三一日までの一年間年二割の未収損害金は金一万〇、〇六五円となる(付表14参照)。従って以上の合計は金五万二、九一四円となる。

(六)  貸付先22神村繁一分

弁論の全趣旨により成立を認める甲第三〇号証、原審証人早川孝雄の証言により成立を認める乙第二二号証、同証人の証言、原審における第一審原告本人尋問の結果(第一回)を総合すれば、第一審原告は神村繁一に対し、利息月一割弁済期一か月後、期限後の遅延損害金月一割の約で、(1)昭和二九年一二月七日に金二万円を、(2)昭和三〇年一月八日に金一三万円を各貸付け、前者につき一か月分の約定利息金二、〇〇〇円を貸付時に天引したほか、元利金の支払をえないまま経過したことを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、神村繁一は、昭和三一年中には約定利息を任意に支払わなかったのであるから、第一審原告の昭和三一年度の「収入すべき金額」は、右各貸付金に対する利息制限法上損害金の最高限の割合により計算した金額であるとすべきである。

よって、(1)の貸付金二万円について天引した利息金二、〇〇〇円を昭和二九年一二月七日から昭和三〇年一月六日までの期間において、制限利息年二割の利率で支払われたものとして前同様に計算すると充当後の元本は金一万八、三〇〇円となり、右金額は昭和三一年度の期首にも残存するものというべきであるから、これに対する昭和三一年一月一日から同年一二月三一日までの一年間の年四割の未収損害金は金七、三二〇円となり(付表15参照)、(2)の貸付金一三万円についてはそのまま期首元本として残存し、昭和三一年一月一日から同年一二月三一日までの一年間三割六分の未収損害金は金四万六、八〇〇円となる(付表16参照)。以上の合計は金五万四、一二〇円となる。

(七)  貸付先23寺田善太郎分

各成立に争いのない甲第三一、三二号証、同第三七、第三八号証、同第四〇号証、原本の存在ならびに成立に争いのない同第四五号証、原審証人福谷光義の証言により成立を認める乙第二三号証および同証人の証言を総合し、これに弁論の全趣旨を参酌すれば、第一審原告は、寺田善太郎に対し、(1)昭和二九年一一月二九日金二万円を利息月九分、弁済期一か月後、期限後の損害金月九分の約で貸付け、その際一か月分の約定利息を天引し、(2)昭和三〇年一〇月三一日金一六万円を利息前同弁済期昭和三一年一月三〇日、損害金日歩三〇銭と定めて貸付け、その際月九分の割合による三か月分の利息合計金四万三、二〇〇円を天引し、残額金一一万六、八〇〇円を現実に交付し、その後右貸付金二口に対する元本および損害金の支払をえないまま経過したことを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、寺田善太郎は、昭和三一年中には(1)および(2)の貸付金について約定遅延損害金を任意に支払わなかったのであるから第一審原告の昭和三一年度の「収入すべき金額」は、各貸付金(残金)に対する利息制限法上損害金の最高限の割合により計算した金額とすべきである。

よって、(1)の貸付金二万円については、天引した利息金一、八〇〇円を昭和二九年一一月二九日から同年一二月二八日までの期間において制限利息年二割の利率で支払われたものとして前同様計算すると、充当後の元本は金一万八、五〇三円となり右金額はそのまま昭和三一年度期首にも残存したものというべきであるから、これに対する昭和三一年一月一日から一二月三一日までの一年間年四割の損害金は金七、四〇一円となり(付表18参照)、(2)の貸付金一六万円について天引した利息金四万三、二〇〇円を昭和三〇年一〇月三一日から昭和三一年一月三〇日までの期間において制限利息年一割八分の利率で支払われたものとして前同様計算すると充当後の元本は金一二万二、〇五六円となり右金額に対する昭和三一年一月三一日から同年一二月三一日までの三三六日間三割六分の未収損害金は金四万〇、三三八円となる(付表17参照、但し同表中日数三三五日は誤りで、これに伴い未収遅延損害金の額も変動する)。以上の合計は金四万七、七三九円となる。

(八)  貸付先26村松良作分

各成立に争いのない乙第三八号証の一、二、同第五二号証を総合すれば、第一審原告は、村松良作に対し、昭和二九年頃から昭和三三年八月頃まで、引続き金五万円を下らない金額を、利息月一割、毎月支払の約で貸付け、その利息として一か月少なくとも金五、〇〇〇円宛受領し、したがって、昭和三一年中に少なくとも合計金六万円の利息を現実に受領したことを認めることができ、甲第三三号証の一、二は未だ右認定をくつがえす資料とすることはできず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(九)  貸付先27鈴木栄一分

成立に争いのない乙第三九号証および原審証人彦坂省一郎の証言を総合すれば、第一審原告は、昭和三〇年一二月中に鈴木栄一に対し金一〇万円を、利息月九分、毎月支払の約で貸付け、最初の一か月分の利息を天引し、昭和三一年一月分以降の利息の支払いについては一部滞ったこともあったが、昭和三一年五月一三日、右元金および同日までの未払利息の全額の支払を受け、結局昭和三一年中に利息合計金三万九、七七〇円を現実に受領したことを認めることができる。乙第三九号証中の、「昭和三一年五月一三日には滞った利息に対する利息分丈はまけて貰って、元利共全額支払いました。」という記載は、利息に対する利息すなわち重利は取られなかったという意味に解すべきことは、文理上当然であって、利息全部の免除を受けたという意味に解すべきではない。

(一〇)  貸付先28神田みさ子分

成立に争いのない乙第四〇号証および原審証人彦坂省一郎の証言を総合すれば、第一審原告は昭和三一年一〇月末に神田みさ子に対し金三万円を、利息月八分、毎月支払の約で貸付け、最初の一か月分の利息を天引し、以後大体において毎月右利息の支払いを受け、昭和三三年三月頃当時滞っていた利息のうち五〇〇円を免除して元利金全部の支払いを受け、結局昭和三一年中には利息合計金四、八〇〇円を現実に受領したことを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

よって右(一)ないし(一〇)の営業収入を合計すると、金六三万六、〇九〇円となる。

四、 そうすると、昭和三一年度における第一審原告の営業による総収入金額は、一の金一三万二、三九五円と、二の金四四万六、六七八円と、三の金六三万六、〇九〇円とを合算した金一二一万五、一六三円となることは、計数上明らかである。

第一審原告は、甲第四四号証の一ないし四(第一審原告作成の金銭出納帳)の記載の正確性を強張するが、税務対策上故意にその記載を落した収入があることは、第一審原告がみずから第一審において供述しているところであり、右記載中前記認定に矛盾する部分は、前記認定に供した証拠に照らし、措信し難い。

第五、 右総収入金額一二一万五、一六三円より控除すべき昭和三一年度における総支出金額を検討するに、、公租公課二万七、二二四円、交通費金一、五〇〇円、修繕費金二万三、六〇〇円、雑費(訴訟費用)金一五万二、六〇五円および減価償却費金二万六、〇四六円以上合計金二三万〇、九七五円を支出金額として計上すべき点については、当事者に争いがない。

第一審原告は、このほか原判決添付別紙貸倒損失明細表中第一審原告主張分記載のとおりの貸倒損失金が支出金額となる旨主張するが、同表記載の相手方よりの昭和三一年度における第一審原告の営業収入は、前記認定のとおりであって、第一審原告主張の利息免除、無収入等の事実は認められないから、貸倒損失金に関する第一審原告の主張はすべて理由がなく、貸倒損失金としては、第一審被告の自認する鈴木俊雄分金三万三、〇一八円(同明細表中第一審被告主張分)が認められるにすぎない。

したがって、同年度における第一審原告の総支出金額は、前記二三万〇、九七五円に右三万三、〇一八円を加えた金二六万三、九九三円となる。

しかして、前記第三において認定した第一審原告の昭和三一年度における総収入金額一二一万五、一六三円から右金二六万三、九九三円を差引くと、金九五万一、一七〇円となり、この金額が昭和三一年度における第一審原告の営業所得であるから第一審被告のなした更正決定額一二三万六、五〇〇円のうち、右金額を上廻る部分は、失当として取消を免れない。

第六、 第一審原告は、第一審被告のした所得税更正決定が正しいとするためには、右更正決定額算出の根拠となった内訳の所得につき逐一主張、立証がされていなければならない旨主張するが、その理由のないことは、原判決理由五の説明(原判決二六枚目裏二行目から二七枚目表三行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

第七、 以上の次第で、第一審原告の本訴請求は、第一審被告のした更正決定のうち第一審原告の昭和三一年度分営業所得金額金九五万一、一七〇円を超過する部分の取消を求める限度において正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきであるから、第一審原告の控訴に基づき、原判決を主文第一項括孤内のとおり変更することとし、第一審原告のその余の控訴および第一審被告の控訴は理由がないからいずれもこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条、第九八条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 浅沼武 判事 加藤宏 判事 園部逸夫)

付表1

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付表2

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付表3

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付表4

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付表5

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付表6

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付表7の1

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付表7の2

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(第一審被告の計算ではこれを330,000としている)

*275,473+4,132=279,605

161,761-195,000=-33,239

付表8

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付表9

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付表10

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付表11

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付表13

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付表14

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付表16

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付表17

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付表18

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